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THE ALFEE

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THE ALFEE(ジ・アルフィー)は、1974年8月25日にデビューした、長い歴史をもつJ-POPバンドの一つであり、本邦におけるプログレッシブ・ロックの先駆者である。
EMIミュージック・ジャパンのレーベル、EXPRESSとVirgin Music双方に同時に所属。


メンバー
  • 桜井賢(さくらい まさる・1955年1月20日 -、A型)(埼玉県秩父市出身)
ボーカル、ベース、コーラス
  • 坂崎幸之助(さかざき こうのすけ・1954年4月15日 -、O型)(東京都墨田区出身)本名・坂崎幸二(さかざき こうじ)。
ボーカル、アコースティックギター(6弦・12弦・ガット)、マンドリン、パーカッション、ブルースハープ、エレキギター(フルアコースティックギター)、コーラス
  • 高見沢俊彦(たかみざわ としひこ・1954年4月17日 -、A型 )(埼玉県蕨市出身)
ボーカル、エレキギター、アコースティックギター、ピアノ、コーラス、リーダー、作詞・作曲、楽曲プロデュース

概要

元々は明治学院高校在学生を中心としたコンフィデンスというグループだったが、メンバーの入れ替わりを経て、コンフィデンスにいた桜井賢と、都立墨田川高校に在学していた坂崎幸之助、明治学院高校にいたものの、別のバンドにいた高見沢俊彦、コンフィデンスのオリジナルメンバーだった三宅康夫(G)の四人でデビュー。1975年頃三宅が脱退し三人になり、現在に至る。

アイドルフォークバンドAlfieとしてデビュー。レコード会社からの脱退を経て、1979年に自作の曲でAlfeeとして再デビュー。 元来はフォークグループだったが、アルバム「doubt,」以降、ロック的(時にはヘヴィメタルやプログレッシブ・ロック)あるいはダンスミュージックなどの要素も取り入れて融合させている点が特徴である。アルバム「夢幻の果てに」のインタビューで、高見沢は「レゲエだけはどうしても理解できない」と話している。

1986年、シングル「SWEAT&TEARS」のジャケットから、グループ表記をALFEEからTHE ALFEEに変更。 以降ライブ活動時にはサポートメンバーの吉田太郎(dr)、ただすけ(key)、山石敬之(Key)、元サポートメンバーの長谷川浩二(Ds)や菊地圭介(Key)なども含めて「バンド」THE ALFEEとする時期があり、CD・レコードのジャケット・歌詞カードにもTHE ALFEEとして5人が長い間列挙されていたが、彼ら以外のミュージシャンもサポートに付くこともあり最近ではあくまでサポートミュージシャンであると区別されている。

1983年の「メリーアン」のヒット以降、20年以上に渡り全てのシングルをチャートインさせるなどコンスタントなセールスを維持している(詳しくは後述)。

1980年代はTVのヒットチャート番組やCMソング、1990年代以降はバラエティ番組に多数出演している為、日本国内での知名度は非常に高い。


特色

歌メロを重視のいわゆる歌謡ロックであるが、インパクトの強いイントロなどインストゥルメントへのこだわりも強い。
ギター一本のシンプルなスタイルから、ギターやシンセサイザー等を幾重にも重ねる濃厚なスタイルまでアレンジは幅広い。
ルーツとされるのは1960?70年代の洋・邦楽ロック&フォークソングであるが、時にはシンセサイザーの多用やギター奏法など、その時代時代の音楽からの影響も伺える。
メンバー3人が均等にリードヴォーカルをとり、曲毎(曲によってはパート毎)にリードヴォーカルを変える。
三人三様の個性的な声質によるパート分けと、それによる重厚なコーラスが特徴。コーラスが入らない曲はほんのわずかであり、これらのコーラス重視のスタイルは、サイモン&ガーファンクルやイーグルス、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(CSN&Y)、クイーン等の影響があると思われる。


歴史

結成

明治学院高校在学中に、桜井の美声に目をつけた同級生が誘ってフォークグループ「コンフィデンス」を結成、サイモンとガーファンクル等のコピーをしていた。同時期に高見沢は別のクラスでロックバンド(ツェッペリン・ジュニア・スペシャル)を結成し、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル等をコピー演奏していた。

ある日コンフィデンスが出場したアマチュアフォークコンテストにて、坂崎と出会う。坂崎は別のグループを結成して活動するが、その後坂崎のグループが解散したのを機に坂崎はコンフィデンスの一員としてその後のコンテストに飛び入り参加して出場。小室等に注目され、デビューのきっかけをつかむ。

桜井、坂崎、高見沢、三宅の4人は明治学院大学に進学した。また、それぞれが別の大学へ進学したことによりロックバンドを解散していた高見沢を坂崎が引き入れ、四人になった。

当初は全員が作詞・作曲していたが、1979年の再デビュー以降はほぼ全て高見沢が作っている。

デビュー

コンフィデンスの名はデビューに際して、株式会社オリジナルコンフィデンス(現オリコン株式会社)、及び同社発行の音楽業界誌と混同の恐れがあるとして、所属事務所の田辺エージェンシーがなかば強引に「ALFIE(アルフィー)」と決めたらしい。

デビューのためにリーダーがいた方がいいだろうと、話術の巧みな坂崎が自然にリーダーに選ばれたといわれる。

ビクター音楽産業からアイドルフォークバンドとして、ヒットメーカー 松本隆・筒美京平が作詞作曲した「夏しぐれ」でデビューする。デビューは1974年8月25日で、銀座の山野楽器でイベントを行っている。しかし、このデビュー曲はヒットには至らず、続く「青春の記憶」も同様であった。

さらに1975年、三宅康夫が脱退、3人になった直後の3枚目のシングル「府中捕物控」(作詞・作曲:山本正之)が発売日直前に会社の意向で一方的に発売中止となったのを機にビクターとの契約を解除する。

その後、レコード会社の所属のない時代が続き、事務所の先輩である研ナオコ・由紀さおり・かまやつひろし等のバックバンドを務めながらライブハウスで地道に活動を続けた。その間、メンバーの3人はオリジナル詞曲作成に取り組み始める。質量共に高見沢が一番優っていたとされる。

1979年にAlfee(アルフィー)と改称してキャニオンレコードから「ラブレター」(作詞・作曲:高見沢俊彦)で再デビューする。

リーダー交替・ロックへの進出

アルフィーのリーダーは74年のデビューの頃から長い間坂崎が務めていた。フォークグループとして、高見沢も長年アルフィーではエレキギターを弾かない事にこだわっていたらしいが、1980年に出された3rdアルバム「讃集詩」のプロデューサー井上鑑の提案で、「落日の風」の間奏でエレキのソロを入れる。またその頃、雑誌のインタビューで「アルフィーの曲は室内向けだよね」と言われたことに高見沢が猛反発。翌年の夏に野外イベントを開催することになる。また1982年リリースの5thアルバム「doubt,」から大幅にロックアレンジで発表する曲を増やし、さらにリーダーを高見沢に交替し、ロックグループとしての色彩を強くする。

1982年夏に、所沢航空記念公園で行われた初の野外イベント「ROCK'N'ROLL FIGHTING NIGHT」では、サポートメンバーを加え、ドラムス・キーボードを含むいわゆるロックバンド編成で演奏を行った。

この年の暮れに発売されたシングル別れの律動以降、再デビュー時から用いていた「Alfee」のロゴマークを変更し「ALFEE」とした。

この年よりサポートメンバーを加えて演奏されるのが通常のスタイルとなった。

ロック編成初期の頃からドラムスがツーバスでアレンジされている曲もあった。当時、ハードロックバンドでは、このスタイルが多かったものの、少し前までフォークグループと言われ基本的にアコースティックギターとベースのみで演奏していたバンドとしては、急激な変化であった。

ロック・バンドとしてのイメージ作りとして、高見沢が、マーシャルのギターアンプにこだわり、1983年初の日本武道館公演で、セットとしてマーシャルのスピーカーを積み上げたり、変形ギターを多用してTV出演するなどの演出がされた。

ヒット

1983年、コンサート動員力はあったもののヒット曲がない状況で8月24日に初の日本武道館公演を行う。それに続く形でアルバム収録曲の予定であったがシングルで6月にリリースしていた「メリーアン」がヒットし、同年のNHK紅白歌合戦にも出演することとなった。

これに続いて翌年には「星空のディスタンス」、「STARSHIP -光を求めて-」などのヒット曲が続き、ザ・ベストテンなどのヒットチャート番組の常連ともなった。またこの頃より、歌番組以外のいわゆるバラエティ番組への出演も増加した。1983年発売の「メリーアン」以降のシングルCD(レコード)が41作連続でオリコンのランキングトップ10に入り続けている。

毎年1月末に行われる「大阪国際女子マラソン」のテーマソングを1987年の第6回大会における『夢よ急げ』以来担当し続けている。

1990年代以降

1994年、20周年を記念してポニーキャニオン内に独自レーベル(BE∀T BOYSも含む)「Zeit」を立ち上げる。また、同年9月より毎月20日を「THE ALFEEの日」と銘打ち、数か月間シングルまたはアルバムを定期的にリリースした。

1997年に東芝EMI(現EMIミュージック・ジャパン)(EXPRESS,Virgin)に移籍した。

春・秋のライヴツアー・夏のイベントライヴを中心に活動中。2000年以降は、シングルは年に1枚。オリジナルアルバムは2?3年に1枚、近年のJ-POPの流れに伴いベストアルバムの発売が頻発している。ライヴDVDは毎年発売され、2008年8月からはEMIミュージック・ジャパンからではなく、プライベートレーベルのアルフレッドからになっている。


ライブ活動

全国ツアー

THE ALFEEは1982年夏ごろより、コンサートツアーにタイトルをつけ、毎年全国を回ってコンサートツアーを行っている。
彼らのツアーの特徴として、以下のことがなどが挙げられる。

  • 基本的に春(3月下旬?7月上旬)と秋(9月中旬?12月下旬)の2回ツアー(以下、「春ツアー」、「秋ツアー」と記述)が行われ、春ツアーと秋ツアーでステージセットやツアーの基本となるセットリストが変わる。
  • 1公演ごとにセットリストが大幅に変わる場合がある。

最も多い年では年間113公演をこなし、現在でも年間60公演から70公演以上を行うなど、ライブを中心に活動を続けている。

  • 〜1982年
一貫したツアータイトルを銘打って全国ツアーを行うのは、後述の「OVER DRIVE」ツアーからとなるが、1982年夏以前にもコンサートにタイトルをつけていた。
現在、資料で確認できるもので
フォークソング紀行 アルフィー唄い歩き(1980年)
稚くて愛を知らず(1981年頃)
ALMYGHTY(1981年)
フォークソング紀行 アルフィー〜heart to heart(1982年頃)
Rock'n Roll Fighting Night in__(公演先の地名)(1982年)
などがある。
  • OVER DRIVE(1982年9月7日?〜1983年12月28日)
1982年の夏のイベントよりツアーにドラムとキーボードを導入。当時のサポートメンバーは相沢美彦(現・あいざわ元気:Drs)、山石敬之(Key)、遠藤誠一(Key)だった。
ちなみに、オフィシャル・データブック「地球音楽ライブラリ アルフィー」や公式サイトのデータベースでは1983年からのツアータイトルが「OVER DRIVE」であるかのように整理されているが、公式サイトに掲載されている当時のチケット(1982年12月24日の前橋市民会館公演)ですでに「OVER DRIVE」というタイトルを用いており、前述の「地球音楽ライブラリ」でも「秋には、大阪フェスティバルホールを皮切りに、『OVER DRIVE』と銘打ってコンサートをスタートさせた」という記述があることから、同公演日である1982年の9月7日が正しいと思われる。
1983年から相沢美彦に代わり、ドラムを富岡義広が1年間担当。キーボードは前年に続き山石敬之が担当している。
この年の12月17日の渋谷公会堂公演より長谷川浩二が参加する。
  • FLYING AWAY(1984年3月27日〜7月7日/10月2日〜12月28日)
この年よりサポートメンバーは長谷川と山石の2人体制となる。
  • AFFECTION(1985年3月26日〜7月21日/10月1日〜12月30日)
1982年よりキーボードを担当していた山石敬之が本ツアーをもって離脱。ツアー最終日のアンコールで、山石脱退について高見沢から発表があり、その後の「A LAST SONG」は山石に向けて歌われた。
  • SWEAT & TEARS(1986年4月2日〜7月23日/10月2日〜12月29日)
このツアーよりキーボードとして菊地圭介が参加。ただし、ツアー初日、4月2日のステージのアンコール最後の曲で山石敬之が登場、1曲だけの共演を果たす(一つのキーボードブースに二人で入って演奏を行った)。この他にも山石のスケジュールが合致する会場でアンコールの数曲だけの共演が何度か見られている。
  • LONG WAY TO FREEDOM(1987年4月2日〜7月20日/11月25日〜1988年1月7日)
12月21日から24日までの4日間連続で日本武道館公演を行う。この年より12月22日から24日までの3日間は日本武道館で公演することが恒例化する。
なお、正月をまたいで行われたコンサートツアーは本年が最後である。
  • 1988 LONG WAY TO FREEDOM TIME SPIRIT(1988年4月12日〜7月19日/9月29日〜12月29日)
ツアーのテーマソングであった「TIME SPIRIT」は、その後シングル「VICTORY」のカップリング曲としてCD化された。

このツアーは「宇宙空間の地球が天空に見える架空の星でライブを行い、夏のイベント(4ACCESS AREA」)で日本各地に帰還。ライブ終了後は再び宇宙に帰っていく」という一貫したストーリーで形成された。そのため、モニタを多用したSF風のステージが特徴である。

  • THE ALFEE With Jean Paul GAULTIER(1989年4月5日〜4月21日)
デザイナージャン=ポール・ゴルチエとのコラボレーション企画。ファッションショーとライブを融合させたもので、メンバーはゴルチエのデザインした衣装を身にまといライブを行った。
このツアーで初めてドラムにそうる透が参加し、長谷川とのツインドラム体制となった。
  • 1989 LONG WAY TO FREEDOM RESISTANCE(1989年9月27日〜12月28日)
前半はBEATBOYSのツアーがあったため、「THE ALFEE」としては約5か月ぶりのツアー。
この年のステージセットはドイツのブランデンブルグ門を模したものであったが、ツアー中の11月9日にベルリンの壁崩壊のニュースが飛び込んでくる。その後1999年にはドイツの本物のブランデンブルグ門の前でコンサートを行った(後述)。
  • 1990 LONG WAY TO FREEDOM REVOLUTION(1990年3月29日〜7月24日)
そうる透が1年間ツアーに参加。長谷川とのツインドラム体制となる。
  • 1990 LONG WAY TO FREEDOM REVOLUTION II(1990年10月30日〜12月27日)
秋ツアー終盤の12月24日の武道館公演では石橋貴明がゲスト出演。とんねるずに提供し、自らがセルフカバーした「クリスティーナ」を演奏した。
  • 1991 LONG WAY TO FREEDOM COUNT DOWN(1991年9月11日〜12月27日)
前半は高見沢のソロ活動(アルバム制作、ライブツアーなど)があったため、久々の全国ツアーとなった
  • Count Down '92 COMMUNICATION(1992年4月15日〜7月27日/11月28日〜12月30日)
  • LAWSON Presents THE ALFEE Communication ACOUSTIC SPECIAL(1993年1月22日?2月15日)
サポートメンバーは同行せず、メンバーのみで行ったツアー。のちにライブアルバム「CONFIDENCE」としてCDでリリースされた。
  • Count Down '93 VICTORY(1993年3月23日〜7月26日/10月8日〜12月29日)
春・秋両ツアーあわせて101公演のコンサートを行い、47都道府県すべてでの公演を達成。
  • Count Down '94 DREAMS(1994年4月8日〜6月3日/10月14日〜12月30日)
12月24日の武道館公演のアンコールでは、毎年特別な出し物をするのが恒例となっているが、本年では桜井が殺陣を披露したほか、高見沢がセーラームーンの格好をして武道館のステージ上を飛び回った。この年、高見沢は「これ以上エスカレートするときりがないから、今年の武道館ではしない」と宣言していた。
なお、このサプライズでヒートアップしたせいか、上記公演では度重なるアンコールの結果、公演時間は4時間を越え、当時の武道館の1公演あたりの公演時間最長記録を更新している。
  • Count Down '95 PROGRESS(1995年3月30日〜6月23日/11月5日〜12月29日)
自身の音楽活動のため離脱していた山石敬之がキーボードに復帰。春ツアーのキーボードは山石と菊地圭介のツイン体制となる。この年の1月にアルバム「夢幻の果てに」を発表したこともあり、緊張感のあるツアーとなった。なおこの春ツアーの様子は後にライブアルバム「LIVE IN PROGRESS」としてCDでリリースされた。
この年の夏のイベントを最後に菊地が卒業。秋ツアーのキーボードからは山石1人となる。
  • Count Down '96 IMAGINATION(1996年4月4日〜6月24日/10月24日〜12月29日)
このツアーより、ライブの演出として本格的に映像を取り入れる。
  • Count Down '97 EMOTION(1997年4月19日〜6月29日/10月24日〜12月30日)
  • Count Down '98 NOUVELLE VAGUE(1998年4月2日〜6月18日/10月22日〜12月29日)
春ツアーのファイナル公演はニューヨークで行われた(詳細は海外公演を参照のこと)。
ニューヨーク公演には後に2003年にも参加する杉山卓夫がサポートとしてキーボードで参加。
  • Final Count Down A.D.1999(1999年4月11日〜6月28日/10月17日〜12月29日)
秋ツアー終盤の12月22日武道館公演では加山雄三がサプライズ出演(桜井は出演を知らされていなかった)。
  • AUBE 2000(2000年4月6日〜6月25日/10月8日〜12月30日)
  • AUBE 2001 NEVER FADE(2001年4月5日〜7月1日)
前年までのサポートメンバーの位置は上手側(高見沢側)にキーボード、下手側(桜井側)にドラムという配置だったが、本ツアーから配置が逆になる。高見沢曰く「気分転換」とのことだが、本ツアー以降この配置が定着する。
またこのツアーの直前、高見沢がテレビの企画で闘牛に挑戦し、左手の人差し指(ギタリストが最も多用する指のひとつ)を骨折し、本ツアーで大きく影響を与える。
  • AUBE 2001 GLINT BEAT(2001年10月14日〜12月29日)
  • AUBE 2002 TRANSFOMATION(2002年4月4日〜6月30日/10月10日〜12月28日)
秋ツアー終盤の12月23日の武道館公演では「お兄やん」こと堀内健と「お姉やん」ことベッキーがゲスト出演。高見沢がプロデュースした曲「ホリケンサイズ II」を披露する。
  • AUBE 2003 My Generation(2003年4月5日〜6月29日)
キーボードに杉山卓夫が1年間サポートとして参加。山石とのツイン体制となる。
  • AUBE 2003 GOING MY WAY(2003年10月10日〜12月27日)
  • 30th anniversary 2004 Travelin' band(2004年4月1日〜6月27日/10月7日〜12月29日)
  • AUBE 2005 STARTING OVER (2005年4月9日〜7月3日/10月7日〜12月29日)
2004年の大晦日ライブから引き続き、そうる透がドラムで参加。長谷川とのツインドラム体制となる。
この年を最後に21年間ドラムを担当してきた長谷川浩二が卒業。
  • AUBE 2006 ONE(2006年4月7日〜7月1日/10月6日〜12月29日)
吉田太郎がドラムとして参加。そうるとのツインドラム体制となる。
また、秋ツアーの広島公演直前に体調不良により坂崎の声が出なくなるハプニングが発生。セットリストで坂崎ヴォーカルの曲を少なめにしたり、本来坂崎がヴォーカルをとる曲をほかのメンバーが歌うなど、メンバー全員がボーカルを担当するバンドの強みで急場をしのいだ。
  • AUBE 2007 春の嵐(2007年4月5日〜7月1日)
この年よりドラムが吉田太郎1人となる。
1983年以降の全国ツアーで、はじめてツアータイトルに日本語が採用された。
  • AUBE 2007 天河の舟(2007年10月5日〜12月29日)
12月15日の日本ガイシホール公演からキーボードにただすけが参加。山石敬之とのツイン体制となる。
  • AUBE 2008 RENAISSANCE(2008年4月3日〜)
本ツアーよりキーボードがただすけ1人となる。
ライブにブロジェクタを用いた映像表現を採用する。
福岡1日目のブロジェクタを用いた映像表現では映像の歌詞と歌のズレが発生していたが、福岡2日目ではそれが解消されていた。
武道館が2Daysになる。
  • 35th anniversary 2009 CONFIDENCE(2009年4月9日〜)

サマーイベント(野外ライブ)

彼らは毎年、夏の風物詩として野外で大規模コンサートを行ってきている。数回の例外はあるが例年屋根のない場所で行われ、原則として同じ場所では2度と行わないことになっている。しかし、近年は場所探しの難航から、これらの原則は守ることが困難となってきている。これに関連して、関東の横浜スタジアム、東京ドーム、千葉マリンスタジアム、神宮球場、西武ドームの5大スタジアムでライブを行ったのは彼らだけである。野外でのコンサートは、台風などの天候の影響を受けることが多い。

2007年はそれまで25年間連続して行ってきた野外イベントを一時休止した。

  • 1982年 ROCK'N'ROLL FIGHTING NIGHT -悲しみをぶっ飛ばせ!!- 所沢航空記念公園(1982年8月6日)
彼らにとって初の野外コンサート。チケットには3人のメッセージが入ったソノシートが使われた。その年の4月に久保講堂でのライブを成功させ、自らのキャラクターを明確にした彼らは、ロックバンドとしての姿をこの所沢において披露。
しかし公演当日、1曲目のイントロの冒頭で、高見沢のアンプから音が出ないハプニングに見舞われる。音が出るまでの間、高見沢以外のメンバーで冒頭の数小節を延々と繰り返したという。
また、MCで高見沢が「来年アルフィーは10周年になります。来年の8月25日、何かやります」と企画すら起っていない状態にもかかわらず「何かやります」宣言をする。(実際、1974年のデビューなので9周年だった。現在では1973年結成となっている)
  • 1983年 OVER DRIVE-ALFEE 8.24 BUDOKAN- 日本武道館(1983年8月24日)
当日、会場に訪れた1万人の観客全員に本人たちのプロモーションビデオなどが収録されたビデオテープ(VHS、ベータマックスともに5千個ずつ)がプレゼントされた。
終演後も席を立つ者が無く、アンコールを求める声が止まなかったが、会場に「SINCE 1982」の伴奏が流れ始めると(高見沢が舞台ソデで演奏した、ともいう)次第に静まり、遂には会場一体となって同曲を大合唱した、というエピソードが、「夢さがし アルフィー・高見沢俊彦物語」などでも紹介されている。
  • 1984年 FLYING AWAY-ALFEE IN YOKOHAMA STADIUM- 横浜スタジアム(1984年8月3日)
当日は雨に見舞われた。しかもステージがリノリウムという、水にぬれると滑りやすくなる資材で作られたため、公演中に高見沢が滑って転倒してしまう。そのとき、転んだ拍子にギターで胸を強く打ち、肋骨にヒビが入る怪我を負った。
また、雨の降る中「鋼鉄の巨人」というハードロックの楽曲を演奏中、ステージのバックに稲妻が光った。当日、会場に来ていたキャニオン・レコード(現・ポニーキャニオン)の羽佐間重彰社長(当時)はそれを見て「ずいぶんと金のかかった特効だな」と関係者に話していたという。
チケットは、青い下敷き。
  • 1985年 YOKOHAMA STADIUM 3DAYS 横浜スタジアム(1985年8月27日・28日・29日)
現在では、同一の会場で連続して公演が行われる際、「_Days」と表記されることがあるが、本公演がそのはしりといわれている。3日目には開場時間から彼らはステージに上がりアコースティック曲を演奏し、観客を驚かせる。この前座ライブは20曲以上に及んだ為、一日の総演奏曲数は50曲を超えた。また、かなり早い時間帯から演奏したため、1曲目の「過ぎ去りし日々」が終わった時は、ほとんど観客がいなかった。
チケットは、青いバンダナ。
  • 1986年 TOKYO BAY-AREA 東京湾13号埋立地(1986年8月3日 動員92,500人)
日本初の単独10万人(主催者発表)コンサート。13年かけてこの曲にたどりついたという「Rockdom-風に吹かれて-」が当日に初めて演奏され、初めて聴くにもかかわらず、観客が一体となって最後のリフレイン部分を大合唱した。
会場は、現在フジテレビの社屋がある隣附近。当時のビデオ映像などを見ると、周辺には船の科学館しか存在していなかった。
何もない所だったために組むことが出来た幅120メートル、高さ75メートルの巨大なセットは、10万人コンサートの名前にふさわしい規模だった。会場には公共の交通機関が存在しなかったため、数十台の都営バスを貸切り、営団地下鉄の東陽町駅及び、新木場駅と会場の間をピストン輸送した。
また開場時間は開演の6時間前に設定され、その間、春ツアーで使用したセットを組み、10組のコピーバンドが前座としてステージに上がった。
終演は9時過ぎだったが、大人数の為最後の客が退場できたのは、深夜0時をまわったという。
チケットは、ワッペン型。
前座をしたコピーバンドはOVER THE AGESと題して何回かコピーバンド大会を行った。
  • 1987年 SUNSET-SUNRISE 日本平ホテル MUSIC LAND-IN 静岡(1987年8月8日・9日)
オールナイトコンサート「サンセット・サンライズ」。
前年のクリスマスに、横浜スタジアムに設置した仮設テントでのオールナイトコンサートは、近隣からの騒音苦情のため、夜明け前に終了してしまった。その雪辱戦として急きょ決定したライブだった。全体を3部構成にし、1部と3部はロックナンバー中心のライブ。2部はアコースティックライブとなり、幻の未発表曲「まもなく2番線に…」が演奏された。それぞれの合間には1時間の休憩が挟まれた。
前半はウッドストック・フェスティバルさながらの豪雨にたたられ、一部の楽器に不具合もでた。また、このコンサートの最中には、ニッポン放送オールナイトニッポンが、一部、二部ぶっ通しの特別番組を放送した。当時、アルフィーと親交の深かった上柳昌彦アナウンサーが、日本平ホテルの一室から放送。事前に収録したインタビューコーナーだけでなく、休憩時間中には、メンバーが直接生出演した。
三部に入るとほとんど雨が止み、「不良少年」の演奏中には富士山が顔を出した。
最後は、このライブの為に作られた「Sunset Sunrise Kiss」を披露(同曲は現在発売されているCDには収録されておらず、同ライブが収録されたビデオ映像でしか聴くことができない)。演奏終了後、メンバーはヘリコプターに乗って会場を後にした。
チケットは、白いビニールシート。
エンディングの退場の際、高見沢の靴が脱げてしまった。勢いでもう片方も脱いで客席へ投げ込み、ヘリコプターに乗り込んだが、着陸したのは雨上がりの河原であったため、迎えの車まで高見沢は桜井に背負われて移動した。(「THE ALFEE HISTORY U」に、その際の映像がある)
  • 1988年 ALL OVER JAPAN 4 ACCESS AREA 大阪湾南港特設会場(1988年7月24日)、札幌大倉山ジャンプヒル(7月31日)、福岡海の中道海浜公園(8月7日)、横浜本牧埠頭シンボルタワー(8月14日)
4 ACCESS AREAとして一週毎に各地を回って開催した。
春ツアーから一貫したコンセプトによる演出になっている。宇宙を旅したアルフィーが、各地に宇宙船で飛来、ライブが終わると再び宇宙船に乗り込む、という流れになっている。
最後の横浜では、7年ぶりにBEAT BOYSが復活を宣言。新曲を披露した。
また、横浜では猛暑のため、数人が倒れる騒ぎとなり、救急車が出動。翌朝の新聞にて報道された。
チケットは、バックステージパス。
  • 1989年 U.S CAMP DRAKE ASC 朝霞米軍キャンプ跡地(1989年8月13日)
1989年の前半はBEAT BOYSとしての活動が主となり、久しぶりのアルフィーとしてのライブとなる。
ALFEEと親交が深かった「シンプジャーナル」(自由国民社刊)の大越編集長が、軍服を模した衣装を着たり、戦闘シーンをイメージさせる特効などに苦言を呈した。
  • 1990年 BRIDGE ACROSS THE FUTURE 横浜みなとみらい21 臨港パーク(1990年8月12日)
このライブではドラムに春から一緒にツアーを回っていたそうる透も参加し、ツインドラムで重厚な威圧感のあるライブが見られる。当時はみなとみらい21は開発中であり、当時のライブ映像を見ると、周辺にはコスモクロック21しかない。インターコンチネンタルホテルは半分程度しか出来ていなかった。
三人の衣装は、この年のホールツアーや秋に発売されるアルバム「ARCADIA」のイメージを踏襲した中東貴族風のものだったが、桜井いわく「肩パットがずれてきて演奏しづらかった」そうだ。
春のツアーまでは高見沢ボーカルだった「BEST FRIEND」が、このライブから桜井メインに変更されている。
  • 1991年 10回目の夏-SINCE1991- COSMO OIL YOKOHAMA BAY(1991年8月11日)
所沢の野外ライブから数えて「10回目の夏」。
開場になったコスモ石油の敷地は、前年の会場であったMM21地区の対岸であり、ライブビデオにはMM21臨港パークから桜井がリポートする場面が挿入されている。
  • 1992年 JUST LIVE! 横須賀海辺ニュータウン(1992年8月9日)
当初は同日に米軍厚木基地で「Dream on The Field」が開催する予定であったが、8月9日は長崎に原爆が落とされた日だったことや騒音の面からクレームがつき、急遽中止になる。しかし、スタッフらの尽力でわずか1か月半で新しい場所を探しだし、ステージやチケットのデザインも1から作り直して予定通り8月9日に開催した。
セットは、アメリカにあるラシュモア山の大統領の彫像をモチーフに、巨大な山のセットに三人の顔が彫刻されている。
  • 1993年 VICTORY STADIUM 千葉マリンスタジアム(1993年8月21日・22日)
久しぶりのスタジアムでのライブとなる。2日間にわたってアコースティック、ハードロックの両面を前面に出した。1日目には彼らが応援ソングを作曲した横浜フリューゲルスの選手が登場し、ライブを盛り上げる。
両日のセットリスト中、共通した楽曲は「Victory」だけで、両日併せて60曲以上が披露された。
なお、この年より複数日での開催が定着することになる。
  • 1994年 KING'S NIGHT DREAM 大阪舞洲スポーツアイランド(1994年7月30日)横浜MM21臨港パーク(1994年8月13日)
大阪では6年ぶりの野外となる。遊園地のようなイメージでステージは作られ、高見沢はトランプをモチーフとした4本ネックのギターを披露。しかし、ボディが通常のギターの2倍以上あるためかなりの重量があり、相当弾きづらかったらしく、このイベント以来使用していない。
大阪では幻の曲「府中捕物控」も演奏され、横浜ではデビュー曲「夏しぐれ」を高見沢がハンドマイクで披露した。
ステージセットは遊園地をモチーフに、今までイベントのタイトルが随所に配置された。
  • 1995年 幻夜祭 千葉ポートパーク(1995年8月12日・13日)
アルバム「夢幻の果てに」後のライブということでプログレ・メロスピ曲が演じられ、緊張感のあるライブとなる。悲劇受胎が初演奏された。
最初のイベントROCK'N'ROLL FIGHTING NIGHT -悲しみをぶっ飛ばせ!!-以来、久しぶりに既存の野外ステージ上にセットが組まれた。
  • 1996年 YOKOHAMA RED BRICKS I&II 横浜赤レンガパーク(1996年8月10日・11日)
ステージは大きな船に見立てられ、航海をイメージとした編成となる。会場が細長いため、客席の最後方部はかなり条件が悪かった。そのためラストにはメンバーが最後方まで行き、挨拶をした。
また、ステージ後方には、コスモクロックという観覧車が見え、まるでセットの一部のように見えた。
  • 1997年 EMOTIONAL FIELD 稲毛海浜公園(1997年8月9日・10日)
台風による強風により、花火などの特殊効果が使用不可となる。また、1日目に使用した銀テープが風にあおられ、電線に引っかかり、付近の団地が停電になるというハプニングが起きた。このことに関して、高見沢は2日目のMCで謝罪している。
  • 1998年 TOKYO ONE NIGHT DREAM 立川国営昭和記念公園(1998年8月16日)
前日の8月15日には前夜祭として催し物が繰り広げられる。ビートボーイズも久々の登場。
  • 1999年 A.D.1999 MILLENNIUM CARNIVAL 横浜ニューポートピア(1999年8月7日・8日)
1日目のアンコール、「Wings of Freedom」の直前から突然の豪雨。曲が終わると同時にピタリと降り止むという不思議な自然の演出があった。ドナルドダック生誕65周年を記念して制作された「D.D.D ! ?Happy 65th Anniversary for Donald Duck?」初披露。
  • 2000年 TOKYO AUBE STADIUM 神宮球場(2000年8月12日・13日)
初日はCLASSICS NIGHTとして神奈川フィルハーモニー管弦楽団と指揮に服部克久を迎え、クラシックとの融合を図る。
  • 2001年 KINGDOM さいたまスーパーアリーナ(2001年8月25日・26日)
記念すべき20回目のイベント。武道館以来の屋内での夏のイベントとなる。1日目は27回目のデビュー記念日だったため、ラストには客席から「Wind Tune」の大合唱が起きる。2日目はアリーナ席後ろからガードマンと共に登場するという演出を行った。ラストはステージサイドから客席に降り、会場を一周した。
  • 2002年 Legend of The Stadium V 西武ドーム(2002年8月24日・25日)
関東5大スタジアム(東京ドーム・西武ドーム・明治神宮野球場・横浜スタジアム・千葉マリンスタジアム)制覇。なお、神宮球場は現在コンサート使用での貸し出しは行っていないため、この記録を破るのは今後不可能ではないかといわれる。2日目のGold Legendではデビュー以来ほとんど披露していないという危険なリンゴを演奏。また、このイベントの動員数を加えると、ライブ通算動員数600万人を突破した。
  • 2003年 YOKOHAMA SWINGING GENERATION 横浜みなとみらい21 21街区(2003年8月16日・17日)
二日間、土砂降りの雨に見舞われた。1日目のGENERATION DYNAMITE DAYでは機材を覆うテントを取ってしまったために機材に水が入ってしまい、1000万円以上の赤字を出したといわれている。2日間とも雨だったため星空は見えなかったが、メモリアルチケットのフラッシュバッジがそれに代わり演出をした。
  • 2004年 LOVE&PEACE YOKOHAMAハンマーヘッドパーク(2004年8月14日・15日)
デビュー30周年記念ライブ。ライブ中にヘリコプターの飛来により「恋人達のペイヴメント」を歌い直すという場面も。1日目、2日目とも客席にはペンライトが用意され、ラストにはそれぞれ「ALFEE」、「30th」という人文字が浮かび上がった。
  • 2005年 TOKYO BAY STATION 晴海埠頭特設会場(2005年8月20日・21日、動員50,685人)
東京では5回目のイベント。このイベントの花道はドーナツ型をしているという、夏イベでは珍しい花道であった。夜には満月が出て、イベントに華を添えた。
  • 2006年 YOKOHAMA STAR-SHIP 横浜赤レンガパーク(2006年8月12日・13日 約51,000人)
横濱開港150周年記念。1996年の「YOKOHAMA RED BRICKS」と同開催地だが、ステージの位置は1996年と反対方向に設置された。2日間の曲目は過去のイベントでの印象に残った曲をちりばめるという、まさに25年の集大成というべき曲順であった。
このライブをもって、1982年から25年続いた夏のイベントは、一旦休止されることになった。
もともとは2000年のTOKYO AUBE STADIUMをもって休止の予定だったが、タイミングを逸したため25周年まで延期されたという。

海外公演

1998年にはニューヨーク、1999年にはベルリンと、企画あるいはイベントのオファーにより海外においてコンサートを行っている。

  • THE ALFEE in NY ニューヨーク フォレスト・ヒルズ・スタジアム(1998年7月1日)
NYのフォレストヒルズ・スタジアムにおいて阪神淡路大震災チャリティーコンサートとして7000人の観客を集めて行われた。
また、フォレストヒルズ周辺は、アルフィーが敬愛するサイモンとガーファンクルの縁の地ということもあり、当日は「ミセス・ロビンソン」など、サイモンとガーファンクルの曲も数曲演奏された。
  • JAPANISCHE FESTPARADE ベルリン ブランデンブルグ門前広場(1999年9月26日)
「ドイツにおける日本年」のオープニングイベントとしてライブが行われた。
この時は服部克久の指揮によるベルリン交響楽団との共演により、「歓喜の歌」等も演奏された。
  • THE ALFEE in LONDON ロンドン ロイヤル・アルバート・ホール(2001年9月27日:中止)
3度目の海外公演として、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールにおいてコンサートが行われる予定であったが、公演予定日の2週間ほど前に起こったアメリカにおける同時多発テロ事件の影響を受け、中止している。

逸話

現在、東京湾岸地域は一般に「東京ベイエリア」と呼ばれることがあったが、これはTHE ALFEEが1986年8月3日に東京港13号埋立地(現港区台場・江東区青海地区・品川区東八潮地区)にある船の科学館近接の未利用地に特設ステージを設けて行った10万人(公称)コンサートのタイトルを「1986.8.3 SWEAT&TEARS TOKYO-BAY AREA」と称したことに由来する。

大規模な施設のこけら落とし公演が多い。東京ドーム(1988)、パシフィコ横浜国立大ホール(1994)、東京国際フォーラム(1997)など

ニッポン放送のラジオ出演時に、同席した大瀧詠一から、「アルフィーは『ハンバーグ・みそラーメン』である」と評される。

2005年11月30日の大宮ソニックシティでのライブで、デビューから31年で単独有料コンサートの公演回数2000回を達成した。国内のバンドとしては前人未到とも言われる。その時には日本名球会から野球関係者以外では初めて、名球会入りのブレザーが贈呈された。


THE ALFEE以外の活動

BE∀T BOYS

1981年、ディスコ調に乗せてビートルズの曲のサビ部分をメドレーで繋ぐ「ショッキング・ビートルズ?スターズ・オン45」(Stars on 45)など、著名アーチストのメドレー物の世界的流行を受け『吉田拓郎のオールナイトニッポン』の番組企画で拓郎のメドレー曲をアルフィーが制作。これが思わぬ反響を呼び、アルフィーの名を伏せ、覆面バンド・ビートボーイズ(BEAT BOYS、1988年以降はBE∀T BOYS)名で「スターズオン23 吉田拓郎(後に『ショック!! TAKURO 23』と改名。CDはこの名前で発売された。現在は廃盤)」としてレコード発売。ビートボーイズとは、ビートルズとビーチボーイズから由来する。歌っているのは誰か? とクイズを出したが、殆どの葉書がアルフィーとの答えだった。この正解発表時に正体を伏せたまま(じょんのれん、ポール・マッカーサー、祥寺張扇と名乗った)『吉田拓郎のオールナイトニッポン』に覆面を被り乱入した。そのレコードは一部で話題となり、本人たちの意に反してアルフィー本体の過去最高レコード売り上げ枚数を超えて売れてしまう。
その後、BE∀T BOYSは1988年に趣向を変え、ダンスグループとして活動を開始した。この際も、アルフィーとは全く違うとして本名を用いず、サクライ(桜井賢)をリーダーとし、アルバム、シングルをそれぞれリリースし、アルフィーのコンサート活動を縮小してこちらのコンサートツアーも行われた。また、アルフィーに敵愾心を持っている設定をしており、楽器を持っての演奏はしなかった。現に夜のヒットスタジオに出演した時は「僕たちはアルフィーは嫌いだ」と挑発的で他人行儀な台詞を吐き捨て正体を隠した。夜ヒットで1度だけアルフィーと共演を果たしている。

ライブ活動は1989年以来行っていなかったが、1996年の冬の日本武道館・1998年の立川での夏のイベント前夜祭、2004年のアルフィー秋ツアー内でゲスト出演、2006年、2007年の秋ツアーにも同行した。2007年の武道館公演では新曲を披露した。

CDシングルのリリースとしては、突発的に行われていたが、THE ALFEEの東芝EMI(現・EMIミュージック)移籍以降は発売されていない。

1988年以降のBE∀T BOYSの特徴として、作詞に松井五郎や麻生圭子、アレンジャー等に 武部聡志など外部の人材を登用する事により、サウンド面でもアルフィーと差別化を図っている点が挙げられる。 「GO!GO! BE∀T BOYS」に収録された「Let's! Break Dance!!」では小室哲哉がアレンジを担当。 当時、BEAT BOYS(ALFEE)とTM NETWORKが共演したラジオ番組(「日立FAN!FUN!TODAY」)で高見沢が「小室君から戻ってきたら違う曲になっていた」と発言。これに対し小室が「でき上がった曲を聞いたら違う曲になっていました」と冗談半分に発言していた。

その他

明石家さんまや島田紳助などと同期にあたる。

高見沢は、明石家さんま・とんねるず・猿岩石・小泉今日子・瀬能あづさ・後藤久美子・新田恵利・真璃子・Skirt・鈴木彩子等多くのタレント・アイドルに楽曲を提供している。 他にも高見沢は古舘伊知郎の芝居「トーキング・ブルース」の音楽監督を務めたり、ドラえもんの映画や「フィギュア17 つばさ&ヒカル」等への楽曲提供、ドラマでの音楽監督、KinKi Kidsの番組「堂本兄弟」に出演したり、また坂崎は2002年に期間限定で再結成したザ・フォーク・クルセダーズに参加したり、フォークソングのイベントなどでの司会を務めたりなどと、このバンド以外での活躍も多く、アイドル(KinKi Kids、篠原ともえなど)やフォーク歌手(吉田拓郎、南こうせつなど)との親交も厚い。

音楽以外の活動

田辺エージェンシーでは、所属歌手に歌手活動以外にバラエティ番組への出演をさせる方針がとられていた。THE ALFEEも例に漏れず、ALFEE時代の1984年にTBS系列で「アルフィーのある日ィ突然!」なる単発ドラマが放送されている。因みにこの幻の番組は、『ザ・ベストテン&「ある日ィ突然」complete edition 2000』というタイトルでDVD化されており、現在でも入手可能である。

現在は田辺エージェンシー所属ではなく、そこから独立した事務所・Project III(プロジェクト・スリー)に所属しているが、その頃からの流れは続き、グループあるいは単独でテレビ・ラジオのバラエティー番組に数多く出演している。過去のシングル・アルバム等の版権は田辺エージェンシーの系列の田辺音楽出版が所持をしており、現在でも各種クレジットには田邊昭知の名が記載されているように田辺エージェンシーとは密接な関係である。

芸能人では特にとんねるずとの交流は深く、『とんねるずのみなさんのおかげです』では卓球対決が人気となり、日本武道館での最終決戦も行われた。その功績が評価され、1992年には日本卓球協会から名誉初段を贈られている。また、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』では高見沢が二度にわたってスペインでの闘牛に参加している(ただ二度目の出演時に左手人差し指を骨折してしまい、そのすぐ後のツアーに大きな影響を与えてしまっている)。


ディスコグラフィ

シングル
ALFIE
  • 夏しぐれ (1974年8月25日)
  • 青春の記憶 (1975年5月25日)
  • 府中捕物控 (1975年12月10日(当時の発売予定日))
    3人になり最初のシングルのはずだったが直前に販売中止となる。現在でもプロモーション盤など一部が流出しているのみで、CDとしての音源化が未だなされていないが、コンサートやサマーイベントにおいてごくたまに歌唱される。内容は三億円事件のパロディであり、発売予定日は、三億円事件の公訴時効日であった。
    作詞作曲を担当した山本正之が、1992年ごろに出演したラジオ番組で「当時のビクターのお偉いさんと、警察のお偉いさんが親戚だったのが、一番の原因」と語っている。もっともこのあたりの真相については正確には不明のままである。なお、山本正之名義で、1990年代に再発売されている。(歌詞は一部変更されている)
    後に三人は「自分たちの預かり知らぬところで全てが決定してしまうのは、自分たちがオリジナル曲で勝負をしていないからだった」として、オリジナル曲の制作に力をいれるようになった。
    アルフィーの半生を描いた「ドリームジェネレーション(吉岡つとむ・作)」によれば、当時マネージャーだった関口登氏(現・Project III社長)がビクターとの契約打切りを独断し、三人も素直に受け入れたという。

Alfee
  • ラブレター (1979年1月21日)
「ショウワノート」のCMソング。
  • 踊り子のように (1979年4月21日)
後に高樹澪によってカバーされる。
  • 星降る夜に… (1979年7月21日)
  • 冬将軍 (1979年10月21日)
  • 無言劇 (1980年3月21日)
テレビドラマ「あいつと俺」の主題歌になるが、4回で打切りになる。
  • 美しいシーズン (1980年6月21日)
映画『不良少年』の主題歌になるが、興業が奮わず短期打切りとなる。
  • 恋人になりたい (1980年11月5日)
  • 宛先のない手紙 (1981年5月21日)
  • 通り雨 (1981年10月21日)
キャニオン移籍後、初めて第3者による作詞が採用される。
A面は有川正沙子、B面の「言葉にしたくない天気」は秋元康(同氏のデビュー曲)
  • 泣かないでMY LOVE (1982年3月21日)
  • SUNSET SUMMER (1982年6月21日)

ALFEE
  • 別れの律動(リズム) (1982年11月21日)
  • 暁のパラダイス・ロード (1983年3月21日)
ジャケットは、後に10万人ライブを開催した「お台場13号埋め立て地」。
  • メリーアン (1983年6月21日)
発売当初はそれほどでもなかったが、じわりじわりと順位を上げ、ロングランヒットとなった。
1983年の紅白歌合戦には、この曲で出場した。
  • 星空のディスタンス (1984年1月21日)
TBS系ドラマ「無邪気な関係」主題歌。
  • STARSHIP -光を求めて- (1984年5月21日)
アニメーション映画「SF新世紀レンズマン」の主題歌。B面「愛の鼓動」は同作品の挿入歌。
  • 恋人達のペイヴメント (1984年10月17日)
  • シンデレラは眠れない (1985年2月21日)
  • 霧のソフィア (1985年10月16日)
  • 風曜日、君をつれて (1986年3月5日)

THE ALFEE
  • SWEAT&TEARS (1986年7月5日)
  • ROCKDOM -風に吹かれて- (1986年9月5日)
  • 君が通り過ぎたあとに -Don't Pass Me By- (1987年3月11日)
シングルでの表記は「Alfee」。
  • サファイアの瞳 (1987年3月11日)
  • 白夜 -byaku-ya- (1987年7月1日)
  • My Truth (1987年10月28日)
  • 1月の雨を忘れない (1988年1月21日)
  • WEEKEND SHUFFLE -華やかな週末- (1988年3月16日)
  • 19 (nineteen) (1988年7月27日)
  • FAITH OF LOVE (1988年12月21日)
  • 恋人の歌がきこえる (1989年10月25日)
  • FLOWER REVOLUTION (1990年1月31日)
  • Promised Love (1992年2月5日)
  • Believe (1993年2月3日)
  • Victory (1993年4月28日)
横浜フリューゲルスの公式テーマソング。
  • もう一度君に逢いたい (1993年12月1日)
  • まだ見ぬ君への愛の詩 (1994年5月14日)
  • COMPLEX BLUE -愛だけ哀しすぎて- (1994年9月20日)
  • 冒険者たち (1994年10月20日)
  • エルドラド (1994年10月20日)
  • LOVE NEVER DIES (1996年1月29日)
  • 倖せのかたち ?Send My Heart? (1996年10月26日)
ポニーキャニオンからのリリースはこのシングルで最後となる。その後は移籍先の東芝EMIからのリリースとなる。
  • Brave Love ?Galaxy Express 999 (1998年2月25日)
  • 希望の鐘が鳴る朝に (1999年2月3日)
  • Wings of Freedom (1999年5月23日)
横浜FC公式チームソング。店頭販売は無く横浜FC主催試合でのスタジアム売店、及び公式サイト上のwebショップで発売されている。このシングルの売上は全額が横浜FCの運営費となる。アルバム嗷b収録の同曲とは別バージョン。
  • Justice For True Love (1999年8月18日)
  • NEVER FADE (2000年12月6日)
  • Juliet (2001年8月22日)
  • 太陽は沈まない (2002年8月14日)
  • タンポポの詩 (2003年8月13日)
  • 希望の橋 (2004年2月18日)
  • 100億のLove Story (2005年8月17日)
  • Innocent Love (2006年10月25日)
  • Dear My Life (2007年4月4日)
  • Lifetime Love (2008年3月19日)

コラボレートシングル
  • 「LOVE AGAIN」(「加山雄三 featuring THE ALFEE」名義)(2000年8月4日)

BE∀T BOYS
  • スターズ☆オン23(1981年8月5日)
発売後クレームを受け、「ショック!! TAKURO 23」とタイトル・ジャケットを変更した(品番は同じ)。表記は「BEAT BOYS」。
  • HEARTBREAK LONELY RAIN(1988年11月2日)
  • 誰よりもLADY JANE(1989年5月31日)
  • ふたりだけの夜 (c/w マラカス・ブラザーズ「恋のマラカス・ブラザース」) (1990年7月21日)
  • エピキュリアン(1996年4月3日)
  • May Be(1997年3月19日)

アルバム

THE ALFEE(ALFIE,Alfee,ALFEE)

オリジナル(ミニアルバムも含む)
  • 青春の記憶(1975年7月25日)
1984年にジャケットを変更(ギターとそのケースのみの写真)し「GREENHORN ALFIE」とタイトルを変え再発された。その後何度かCDで再発されており、ジャケット写真に何種類かのバリエーションが存在する。
  • TIME AND TIDE(1979年8月21日)
  • 讃集詩(1980年5月21日)
  • ALMIGHTY(1981年10月21日)
  • doubt,(1982年4月21日)
  • ALFEE(1983年1月5日)
  • ALFEE'S LAW(1983年9月5日)
  • THE RENAISSANCE(1984年7月5日)
  • FOR YOUR LOVE(1985年6月19日)
オリジナルアルバムとしては唯一シングル曲が含まれていない作品。
  • THE BEST SONGS(1985年12月5日)
ベスト盤とする説・オリジナルアルバムとする説の双方があるが、THE ALFEEの公式サイト上ではベスト盤として扱われている。
  • AGES(1986年11月5日)
レコーディングは国内で行われたものの、トラックダウンとミックス、一部の歌入れはロサンゼルスで行われた。
  • U.K. Breakfast(1987年12月9日)
トラックダウンとミックスをイギリスで行った。LPには「It's Alright」が未収録。
また、初めてCD・LP・CTの3種類での同時リリースをされた。
  • DNA Communication(1989年3月21日)
LPは2枚組となっている。
  • ARCADIA(1990年10月17日)
  • JOURNEY(1992年4月29日)
  • 夢幻の果てに(1995年1月20日)
  • LOVE(1996年3月21日)
  • Nouvelle Vague(1998年3月25日)
  • Pride(1998年8月7日)(ミニアルバム)
  • orb(1999年9月29日)
初回限定版と通常版ではジャケットデザインが違い、通常版はエルメスデザインのジャケットが使用された。
  • GLINT BEAT(2001年9月12日)
イギリスでのリリース仕様のジャケットも存在し、一部の外資系レコードショップ限定で販売された。
  • Going My Way(2003年10月1日)
唯一CCCDでリリースされたアルバム。
  • ONE -Venus of Rock-(2006年11月22日)

ベスト
  • PAGE ONE -13 PIECES OF ALFEE(1983年12月5日)
  • ALFEE GOLD(1984年9月5日)
  • ALFEE SILVER(1984年9月5日)
  • BEST SELECTION(1984年12月5日)
後に「BEST SELECTION I THE ALFEE」として1988年5月21日に再発される。
ここに収録されている「See You Again」は「doubt,」「PAGE ONE」収録の同曲とは別テイク。
  • ALFEE A面 コレクション(1985年5月21日)
  • ALFEE B面 コレクション(1985年5月21日)
  • ALFEE 4WAY STORY(1985年8月21日)
  • アルフィーA面コレクション スペシャル(1986年4月21日)
  • アルフィーB面コレクション スペシャル(1986年4月21日)
  • BEST SELECTION II THE ALFEE(1988年5月21日)
  • THE ALFEE THE BEST(1991年12月4日)
  • Promised Love -THE ALFEE BALLAD SELECTION-(1992年12月16日)
  • SINGLE HISTORY I 1979-1982(1994年9月20日)
  • SINGLE HISTORY II 1983-1986(1994年11月20日)
  • SINGLE HISTORY III 1987-1990(1994年12月20日)
  • SINGLE HISTORY IV 1991-1994(1995年2月20日)
  • THE ALFEE EMOTIONAL LOVE SONGS(1997年11月19日)
  • THE ALFEE EMOTIONAL MESSAGE SONGS(1997年11月19日)
  • THE BEST 1997-2002 ?apres Nouvelle Vague?(2003年3月5日)
  • 夢よ急げ -大阪国際女子マラソンイメージソング・アルバム-(2004年3月10日)
  • THE ALFEE 30th ANNIVERSARY HIT SINGLE COLLECTION 37(2004年8月25日)
  • STARTING OVER ?BEST HIT OF THE ALFEE?(2006年3月29日)
  • SINGLE HISTORY VOL.V 1996-2001 (2009年3月4日)
  • SINGLE HISTORY VOL.VI 2002-2008 (2009年3月4日)

ライブ盤・その他
  • NON-STOP THE ALFEE(1986年12月21日)
  • ONE NIGHT DREAMS 1983-1987 SPECIAL LIVE EDITION(1987年9月17日)
  • THE ALFEE CLASSICS with LONDON SYNPHONY ORCHESTRA(1990年3月21日)
  • CONFIDENCE -THE ALFEE ACOUSTIC SPECIAL LIVE-(1993年7月21日)
  • LIVE IN PROGRESS(1995年7月21日)
  • THE ALFEE CLASSICS II THE ALFEE with Royal Phillharmonic Ochestra(1996年12月16日)
  • THE ALFEE CLASSICS III THE ALFEE with Royal Phillharmonic Ochestra(2001年11月16日)

オムニバス・企画盤参加作品
  • 「孔雀王」オリジナルサウンドトラック(1988年11月21日)
「FOR YOUR LOVE」(「裏切りへの前奏曲」英詞版)収録
  • We Love Mickey?Happy 70th Anniversary(1998年11月6日)
「When You Wish Upon A Star」収録
  • ひらけポンキッキ スーパーヒット大全集(1993年2月19日)
「ごあいさつのうた」収録
  • ポンキッキ スーパーベスト1(1994年7月21日)
「ごあいさつのうた」収録
  • A Tribute to Kayama Yuzo 60 Candles(1997年4月23日)
「夜空の星」収録
  • 坂本九Tribute Album(1997年10月10日)
「涙くんさよなら」収録
  • Friends 音楽畑 16 Katsuhisa HATTORI(1999年10月27日)
「SONG OF JOY」収録
  • ポップン・ミュージック・オリジナル・サウンドトラック「MICKEY TUNES」
「D.D.D ! ?Happy 65th Anniversary for Donald Duck?」(THE ALFEE feat.ドナルド・ダック)収録
  • Dance Dance Revolution・オリジナル・サウンドトラック「Disney's RAVE」
「D.D.D ! ?Happy 65th Anniversary for Donald Duck?」(THE ALFEE feat.ドナルド・ダック)収録
上記二作の「D.D.D ! 」は「orb」収録曲とは別バージョン。
  • 「さだまさしトリビュート さだのうた」(2008年10月22日)

BE∀T BOYS
  • BE∀T BOYS TOJO!! (1988年10月21日)
  • GO!GO! BE∀T BOYS!! (1989年7月5日)

タイアップ一覧
  • ラブレター - 「ショウワノート」コマーシャルソング(1979年)
  • 無言劇 - テレビ東京系ドラマ「あいつと俺」主題歌(1980年)
  • 美しいシーズン - 東映映画「不良少年」主題歌(1980年)
  • 星空のディスタンス - TBS系金曜ドラマ「無邪気な関係」主題歌(1984年)
  • STARSHIP?光を求めて? - 映画「SF新世紀レンズマン」平和のテーマ(1984年)
  • 愛の鼓動 - 映画「SF新世紀レンズマン」愛のテーマ(1984年)
  • 恋人達のペイヴメント - 江崎グリコ「アーモンドチョコレート」CMソング(1984年)
  • シンデレラは眠れない - カネボウ化粧品'85春のイメージソング(1985年)
  • 真夏のストレンジャー - 全日空 夏の北海道キャンペーンソング(1985年)
  • 風曜日、君をつれて - 全日空 夏の沖縄キャンペーンソング(1986年)
  • 夢よ急げ - 1987 大阪国際女子マラソンイメージソング(1987年)
  • サファイアの瞳 - ライオン「ページワン」CMソング(1987年)
  • 君が通り過ぎたあとに -DON'T PASS ME BY- - 東宝映画「タッチ3」主題歌(1987年)
  • FOR THE BRAND NEW DREAM - 東宝映画「タッチ3」エンディングテーマ(1987年)
  • LONG WAY TO FREEDOM - 「アルプス電気」CMソング(1987年)
  • It's Alright - 1988 大阪国際女子マラソンイメージソング(1988年)
  • Girl - フジテレビ系「桃色学園都市」主題歌(1988年)
  • WEEKEND SHUFFLE -華やかな週末- - TBS系ドラマ「パパは年中苦労する」主題歌 (1988年)
  • 見つめていたい - TBS系ドラマ「パパは年中苦労する」挿入歌(1988年)
  • FOR YOUR LOVE(「裏切りへの前奏曲」の英詞版) - 東宝映画「孔雀王」エンディングテーマ(1988年)
  • Catch Your Earth - 日本テレビ系「巨泉のこんなモノいらない!?」エンディングテーマ(1988年)
  • Kitto - 日本テレビ系「巨泉のこんなモノいらない!?」エンディングテーマ(1989年)
  • Loving You - 「高砂殿」CMソング(1988年)
  • FAITH OF LOVE - 東映映画「将軍家光の乱心 激突」メインテーマ(1988年)
  • YOU GET TO RUN - 東映映画「将軍家光の乱心 激突」ファイティングテーマ(1988年)
  • High-Heel Resistance - 1989 大阪国際女子マラソンイメージソング(1989年)
  • 恋人の歌がきこえる - 日本テレビ系ドラマ「恋人の歌がきこえる」主題歌(1989年)
  • FLOWER REVOLUTION - EXPO'90国際花と緑の博覧会イメージソング/1990 大阪国際女子マラソンイメージソング(1990年)
  • Shadow of Kingdom - ファミリーコンピュータソフト「シャドウ・ブレイン」主題歌(1990年)
  • Arcadia - 1991 大阪国際女子マラソンイメージソング(1991年)
  • Someday - 1992 大阪国際女子マラソンイメージソング(1992年)
  • Promised Love - 日本テレビ系ドラマ「ポールポジション!愛しき人へ…」主題歌(1992年)
  • 君に逢ったのはいつだろう - フジテレビ・イベント「最後の恐竜王国」テーマソング(1992年)
  • RUNNING WILD - 1993 大阪国際女子マラソンイメージソング(1993年)
  • Believe - TBS系「ムーブ」エンディングテーマ(1993年)
  • Victory - Jリーグ A.S FLUGELS オフィシャルソング(1993年)
  • もう一度君に逢いたい - 日本テレビ系「スーパーテレビ情報最前線」エンディングテーマ(1993年)
  • 風を追いかけて - 1994 大阪国際女子マラソンイメージソング(1994年)
  • まだ見ぬ君への愛の詩 - アサヒ飲料「三ツ矢サイダー」CMソング(1994年)
  • 愛こそ力?Power for Love? - フジテレビ系「タイムアングル」エンディングテーマ(1994年)
  • COMPLEX BLUE ー愛だけ哀しすぎて - フジテレビビデオサスペンスシリーズ「COMPLEX BLUE」主題歌(1994年)
  • 冒険者たち - NHKアニメ「モンタナ・ジョーンズ」オープニングテーマ(1994年)
  • エルドラド - NHKアニメ「モンタナ・ジョーンズ」エンディングテーマ(1994年)
  • WILD BAHN! - F-1野田英樹選手応援ソング/MEN'S TENORAS CMソング(1994年)
  • JUMP! (「LIVE IN PROGRESS」に収録されている「JUMP'95」とはアレンジが異なる) - ふくしま国体テーマソング(1995年)
  • LOVE NEVER DIES - 日本テレビ系ドラマ「奇跡のロマンス」主題歌(1996年)
  • GLORY DAYS - 1996 大阪国際女子マラソンイメージソング(1996年)
  • 倖せのかたち?Send My Heart? - 「東邦生命」CMソング(1996年)
  • Liberty Bell - 1997 大阪国際女子マラソンイメージソング(1997年)
本来は1995年大会のイメージソングであったが、阪神・淡路大震災で中止となった為、アレンジを変えて使用された。
  • Crisis Game -世紀末の危険な遊戯- - 東芝DVDプレーヤーCMソング(1997年)
  • Brave Love ?Galaxy Express 999 - 東映アニメ映画「銀河鉄道999?エターナル・ファンタジー」主題歌(1998年)
  • Beyond The Win - 1998 大阪国際女子マラソンイメージソング(1998年)
  • Sister of the Rainbow - TBS系「日立 世界・ふしぎ発見!」エンディングテーマ(1998年)
  • PRIDE - TBS系「日立 世界・ふしぎ発見!」エンディングテーマ(1998年)
  • 希望の鐘が鳴る朝に - TBS系東芝日曜劇場「サラリーマン金太郎」主題歌(1999年)
  • Beginning of the Time - 1999 大阪国際女子マラソンイメージソング(1999年)
  • Wings of Freedom - Jリーグ「横浜FC」オフィシャルソング(1999年)
  • Justice For True Love - 東映アニメ映画「金田一少年の事件簿2 殺戮のディープブルー」主題歌(1999年)
  • NEVER FADE - テレビ朝日系「T_2SHOW」エンディングテーマ(2000年)
  • Wake Up ? Goodbye 20th century boy - 讀売テレビ・日本テレビ系「ウエークアップ!」エンディングテーマ(2000年)
  • 自由になるために - 2000 大阪国際女子マラソンイメージソング(2000年)
  • Juliet - テレビ朝日系アニメ「すしあざらし」テーマソング/テレビ朝日系「T_2SHOW」エンディングテーマ(2001年)
  • Change the wind - 2001 大阪国際女子マラソンイメージソング(2001年)
  • Boy - AT-Xアニメ「フィギュア17 つばさ&ヒカル」オープニングテーマ(2001年)
  • Fairy Dance - AT-Xアニメ「フィギュア17 つばさ&ヒカル」エンディングテーマ(2001年)
  • 太陽は沈まない - フジテレビ系ドラマ「ショムニFINAL」主題歌(2002年)
  • Chaosの世界 - 2002 大阪国際女子マラソンイメージソング(2002年)
  • 孤独な世代 - 2003 大阪国際女子マラソンイメージソング(2003年)
  • タンポポの詩 - テレビ朝日系アニメ「ドラえもん」エンディングテーマ(2003年)
  • 希望の橋 - TBS系ドラマ「サラリーマン金太郎4」主題歌(2004年)
  • 夜明けの星を目指して - 2004 大阪国際女子マラソンイメージソング(2004年)
  • TRY - 彩の国まごころ国体イメージソング(2004年)
  • 100億のLove Story - TBS系ドラマ ナショナル劇場「こちら本池上署5」主題歌(2005年)
  • ZeRoになれ! - 2005 大阪国際女子マラソンイメージソング(2005年)
  • ONE - 2006 大阪国際女子マラソンイメージソング/TBSテレビ・ラジオ「ドラマ原作大賞」作品募集CM(2006年)
  • Innocent Love - CBCテレビ ドラマ30(CBCテレビ50周年記念企画)「みこん六姉妹」主題歌(2006年)
  • Dear My Life - 2007 大阪国際女子マラソンイメージソング(2007年)
  • Lifietime Love - CBCテレビ ドラマ30(CBCテレビ50周年記念企画)「みこん六姉妹2」主題歌(2008年)
  • Wonderful Days - 2008 大阪国際女子マラソンイメージソング(2008年)
  • Shining Run~輝く道に向かって~ - 2009 大阪国際女子マラソンイメージソング(2009年)

参照 : フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



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